B型肝炎訴訟

茨城原告団&弁護団 オンライン対談

 2021年4月6日、B型肝炎訴訟茨城原告のみなさんに、ZOOMによるオンライン対談の形でお話をお伺いしました。

 感染判明や闘病の状況や、裁判や原告団活動についてそれぞれお話いただきました。原告団活動は、全国原告団ならではです。患者さんが声をあげることの大切さ、つながりを持つことの重要性など感じていただければと思います。


 

 

 

 

 

 

 

 

高橋 広海 さん(慢性肝炎)

B型肝炎訴訟

東京原告団副代表

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田邊 敦子さん(肝硬変・移植)

B型肝炎訴訟

茨城原弁会議サポーター

 

 

 

 

 

 

 

 

田中 隆 さん(慢性肝炎)

B型肝炎訴訟

 東京原告団幹事


 

司会

丸山 幸司 弁護士

水戸翔合同法律事務所

茨城弁護団事務局長

 

 

インタビュアー

田中 佑樹 弁護士

長瀬総合法律事務所



 

丸山弁護士▶茨城弁護団の丸山です。本日はお忙しいところお三方にお集まりいただき、B型肝炎のお話を伺うということでよろしくお願いいたします。田中佑樹弁護士より、進行させていただきます。

 

田中弁護士▶茨城弁護団の弁護士田中と申します。つたないところもあると思いますがよろしくお願いいたします。B型肝炎に罹患していることでのご経験、そういった中で苦労していることお伺いしたいと思います。田中さんはいかがでしょうか?

 

田中さん▶私は正直、苦労していることはそんなにありません。そもそものきっかけは、会社の人間ドックで肝炎のキャリアと分かったのですが、会社から特にどうこうしてくださいということはなく、ずっとほったらかしにしておりました。それからだいぶ経って、2003年ぐらいから病院に通ったときに、気になってお話したというところから始まりました。でも、結局は検査をしただけで、特別に治療したわけではなく、様子を見ましょうと継続検査で今まできています。

 

 

田中弁護士▶慢性肝炎に罹患していると知ったときはどうでしたか?

 

田中さん▶私がB型の慢性肝炎と分かったのが、訴訟を起こして弁護士の先生に、医者からいただいたカルテを提出したところで指摘されて初めてわかりました。私は訴訟段階ではキャリアと認識していましたので、キャリアで申請しているつもりでした。訴訟の途中で慢性肝炎の可能性にも言及されましたが、慢性肝炎で和解できるとは思いませんでした。

 

田中弁護士▶驚かれたということがあるのですね?

 

田中さん▶まさか和解調書が慢性肝炎で出るとは、思いませんでした。いろんなパターンがあるのでしょうね。私は具体的な症状がでて苦しんだわけではないのですが、活動をする中でいろいろな原告さんに聞いてみますと、本当に大変な思いをされて困っている方がたくさんいらっしゃいます。いろんな立場の違いはありますが、こういった活動、訴訟に参加して初めてそういうことがわかりました。

 

田中弁護士▶田邊さんはいかがでしょうか?

 

田邊さん▶1984年に第一子を妊娠したときに、このときは死産でしたけれど、その子を妊娠したときにはじめて産婦人科の医師に告げられました。それまでは病気らしい病気はしていませんでした。家庭薬で育てられたというか、風邪を引いたら塩水とかいう感じで本当に健康だけが取り柄でした。告げられた時は耳を疑って、「私ですか?嘘ではないですか?」と何度も何度も聞きました。本当にびっくりしました。今の病状としては、1984年に感染を知ったときに産婦人科の先生からでしたが、「9割の人がそのまま無症状でいって、1割の人は肝硬変や肝がんになる恐れがある」と言われました。B型肝炎の治療法がきちんとなかった時代でしたが、まさか自分がその1割にあたると思いませんでした。

 半年に1回の定期健診は必要と言われていましたが、両方の母が病気になるなど事情があって広島に帰るなどしたために2回ほど検査をしなかったことがありました。若かったので検査をせずに「夏バテかな?ちょっと疲れたか」と思っていたら、あれよあれよと、言ううちに一気に肝硬変になりました。B型肝炎の治療方法がなかったので、1997年9月にB型肝炎ウイルスによる末期の肝硬変で、病気に対する唯一の治療法として、計画的なものでなく緊急の治療として、夫の肝臓の一部をもらって生体肝移植を受けました。現在のところは安定しています。

 

田中弁護士▶ありがとうございます。高橋さんはいかがでしょうか?

 

高橋さん▶今から30年ほど前ですが勤務時間の長い結構ハードな仕事をしていました、朝の7時から夜10~11時くらいまでの仕事でした。そんなあるときに疲れを覚えてきたと同時に手が腫れだして、曲げられないほどになってしまいました。そのときは、超精密旋盤を扱っていましたが、その機械操作ができなくなってしまったのです。病院に行って血液検査をしたところ、異常に肝臓の数値が悪いと言われました。まだ、このときはB型肝炎だとは言われなかったのですが、ただ「肝臓の数値が悪い」ということで、強力ミノファーゲンという注射、肝庇護剤の投与を毎日受けました。「この注射を受けると安定するから」ということで、2,3週間続きました。右が痛くなれば左腕、左が痛くなれば右腕と交互に注射をして、そのうちに数値が下がりました。なんとか指も曲げられるようになり、仕事もスムーズにいくようになりました。

 毎日注射のために、仕事を早くあがって治療に行かなければならなかったので、残業代もなくなり給料が減り、注射代も払わなければならなくなりました、そこは辛かったですね。そんなことも有りGOT・GPTの数値も落ち着いたので通院をやめてしまいました。まあいいやと治療しなかったのです。そうこうするうちに転職をして、転職先で定期健康診断を受けました。血液検査を受けたら、GOT・GPTが非常に高かったのです。精密検査を受けなさいと言われウイルス検査をすることになりました。そこでB型肝炎だということが初めて分かりました。その当時は強力ミノファーゲン以外に特効薬もなく、あまり動かず安静にしてなさいと言われました。それでも仕事をやらないと生活ができないので懸命に仕事をしました。夜も7~8時になるとだるくて、だるくて、すぐ眠くなりました。夜中には足がつってどうしようもなく、一階の風呂に下りて湯を張り、足をマッサージしてようやくの思いでベッドにもぐりこみ、眠りにつくそういう夜が続きました。

 そのうち拡散アナログ製剤がでてきて、掛かり付けのお医者さんから「これは非常によくきく薬だ。ただ、飲み始めたら一生飲まないとだめですよ」と言われました。このときも覚悟がいりました。一生続けるの?と。その時は「次の診察まで返事は待って欲しい」と言いました毎月薬をもらいにいかないといけないこと、これもつらかったです。金銭的にです。

 

医療講演会開催の記者会見(茨城県庁)
医療講演会開催の記者会見(茨城県庁)

 

田中弁護士▶治療に大きな負担にかかることが、お三方のお話からよくわかりました。

そういったご苦労があった中で、B型肝炎の弁護団を知ったきっかけや活動に参加するきっかけはなんだったでしょうか?

 

田中さん▶B型肝炎の訴訟問題をTV等でやっていたのはずいぶん前から知っていました。自分はキャリアかと思っていましたが、2014年に訴訟の手続をするときに費用がどれくらいかかるのかホームページをいろいろ調べました。そのときは全国B型肝炎訴訟東京弁護団が、たしか一番安かったと思います。東京弁護団から資料を取り寄せ、そのまましばらくはなにもしませんでした。なんでそうしたかというと、この訴訟を検討しているときの定期検診では、数値が良好でウイルスが検出されなくなったと言われておりましたので、自分は該当にならないのではないかと思い、しばらくほっておいた経緯があります。そのあとにTVなどでいろんな情報を得て、必ずしも現在の数値や症状が出ていなくても、過去に持続した感染があれば訴訟できると知りました。幸いにも昔うけた健診の結果は手元に控えていましたので、ホームページで茨城地区のB型肝炎相談会があることを知り、牛久相談会に行きました。それがきっかけです。

 

田中弁護士▶ありがとうございます。もともとはこういった活動がされていることはご認識されていたということですね?

 

田中さん▶ホームページなどでそういうところがあるという情報は得ていたので、TVで宣伝しているところとは質が違う、活動の内容が違うと自分なりに感じ取っていました。

 

田中弁護士▶同じく田邊さんはいかがでしょうか?

 

田邊さん▶茨城弁護団が結成されたのが2011年頃だと思いますが、移植を受けたのはもう少し前だったので、2回弁護士に相談したことがありました。まだ基本合意ができていなかったので、時間とお金がかかると言われ、移植でかなりお金もかかっていたので無理だなと、そのときは諦めました。逆に、国民健康保険の障害年金が何度も予後不明の診断書が出ていたので、そちらの方が手っ取り早く治療費が出るということで、次の年には遡ってもらえるようになり、障害者二級で付加金をもらうなどしました。裁判の方でやるのは難しいとわかっていて、交通事故にあったなどの事情もありました。夫に母子感染でないことはだまっていましたが、つい最近になり病院で弁護団のパンフレットを見て、東京医科大茨城医療センターの會田さんに相談し弁護団とつながりました。病院にかかっていて、私のように免疫抑制していると行ったらできるだけ早く帰ろうというのもあり、弁護団のパンフレットも隅っこに置いてあるので、つながる機会がなかなかありませんでした。結局術後20年過ぎてから弁護団にお世話になることになりました。

 

田中弁護士▶田邊さんは田中さんと違い、茨城弁護団ができる前から相談していたがつながらなかった?

 

田邊さん▶移植を受け障害者一級になり、そこにB型肝炎と書いてありましたが、公的なところで、こういう制度があるというお知らせは一度もありませんでした。医師と夫は母子感染だろうと、はなから思っていたので余計にそういう話にならなかったと思います。基本合意ができるかなり前で、そちらに目がいかなかったということだと思います。

 

田中弁護士▶わかりました。ありがとうございます。高橋さんはいかがでしょうか?

 

高橋さん▶B型肝炎訴訟が大々的に取り上げられる前に、C型肝炎・薬害肝炎が新聞に掲載されていました。私の妻がC型肝炎で、肝炎については反応が鋭くなっていました。自分はB型肝炎だけど、これはなんだろう?どこから来たのだろう、とそれがずっと疑問でした。新聞にB型肝炎訴訟というちいさな文字があり、訴訟と言う文字からB型肝炎も何かしらの医療問題なのかと直ぐ考えました、そして原告団の問い合わせ先は東京になっていました。今から10何年前で、茨城弁護団はまだできていませんでした。東京に問い合わせして、東京法律事務所から資料をもらいました。そこからはじまった感じです。

 

患者交流会にて(高橋さん)
患者交流会にて(高橋さん)

 

田中弁護士▶いろんなきっかけがあって、こういった活動につながったのだと思います。こういった活動を通して、訴訟や原告団活動に加わったあとに苦労した点や思い入れがありますか?

 

田中さん▶私は基本的には、B型キャリアを検出しなくなったという認識でいました。弁護団から、入院しているときのCTなどの画像所見やカルテに慢性肝炎の所見があると指摘がありましたが、医者からは慢性肝炎と言われた記憶がありません。この訴訟に入らなければ、慢性肝炎とは今でも思っていなかったと思います。主治医に話したときにも「慢性肝炎と言われている」と話をしましたが、「いやいやあなたはそうじゃない。こういう数値でこういう経緯なので難しいですよ」と言われました。先生に診断書作成をお願いしたときに「依頼があればがんばります」と書いていただきました。それを提出して、私はまったく予期していない結果をいただいたので弁護団の皆さんには感謝しています。活動がなかったらこういうことにつながりませんでした。高橋さんから活動の話をいただいたときに、ほかの方にもこういう活動がひろめられる、自分にお手伝いできることがあれば、何らかの形でお手伝いしたい、というのが活動への思いのはじまりです。

 

田中弁護士▶田邊さんはいかがでしょうか?

 

田邊さん▶私は参加してまだ二年弱です。内容についてはよく分からない部分もありますが、今までたくさんの方をB型肝炎の方を見送ってきました。病院に入っていて、自分は移植できましたが、移植がかなわず亡くなられる方など見送った経験があります。ほかの方は肝臓がんに向いていくかもしれないけれど、私は現在のところ元気でどうにか活動できます。できるだけのことは経験を踏まえてやりたいと思って原告団活動に加わりましたが、一年足らずでコロナの状況になってしまいました。まだ分からないとか、B型肝炎でもいろんな条件でちゃんと救われない方がいるというのも分かっています。和解までいっていませんが、何かの形でお手伝いできればと思い原告団活動に入りました。今のところ活動できないのが残念です。

 

田中弁護士▶高橋さんはいかがでしょうか?

 

高橋さん▶この活動に入って8年目くらいになります。提訴をした最初の頃東京に連続して3回ほど裁判の傍聴に行きましたが、何がなにやら全然分かりませんでした。傍聴していても原告が文章を読み上げて、裁判官が「はい、次回は〇月〇日です」、それで終わりだったのです。一体この裁判はどういう風になっているのだろう?と。4回目に行ったときに、裁判の後に弁護士がきょうの裁判の内容を話してくれるということで聞きに行ったわけです。こういう裁判の開かれる前に弁護士と裁判官とで話し合いをしていて、そこで提訴された方の和解が受理される受理されないなどの話が決まる、などいろんなお話を聞きました。

 そのお話を聞いた会場で原告団の集まりが後日あるので参加してみてはいかがですかと聞いて、全国の方が集まったところへと足を運びました。そこで「原告団幹事を今募集しています。活動に参加してみませんか。」という呼び掛けがあり手を挙げさせてもらいました。まだ当時は和解していませんでしたが、1年ほど経ってから慢性肝炎で和解しました。和解金が下りて、このときは金銭的に非常に助かりました。

 その間にも、いろんな苦労をされている方がいること、拡散アナログ製剤の助成制度などは与えられてできたものでなく、弁護団原告団が力をあわせて国から勝ち取った権利である助成制度であること、これからますます医療費も増大するというところで肝臓病に医療費助成が削減されると困る、みんなで声を上げないと削られてしまうよ、と。そういう人たちのためにも、和解した自分がなにかできることがあればできることをやろうじゃないか、と取り組みを始めました。丸山弁護士や花山さんと一緒につくば市議会に行って請願書を朗読させてもらったり、茨城県議会に陳情をしたり、肝硬変・肝がん患者のための医療費助成制度を作ってくださいと、沖縄、北海道、名古屋、大阪、東京などいろんなところに出向いて、街角で署名活動をしました。なかには「どうせお前たちは税金からもらっているのだろう。こんなことやめろ」という人もいましたが、「頑張ってください」と励ましてくれる人、家族連れで署名をしてくれる人、持ち帰って職場で署名を集めてくれた人、そういう力が集まって、肝硬変肝がんの医療費助成制度ができました。患者自ら活動しないとそういうものができてこないと勉強させてもらい、より多くの肝炎で苦しんでいる人に伝えて、活動して欲しいと思いながらやっています。

 

B型肝炎がなぜ起こったのか学習する会を開催
B型肝炎がなぜ起こったのか学習する会を開催

 

田中弁護士▶ありがとうございます。みなさまそれぞれのご苦労があって、今お伺いした中で、私も思うところがたくさんありました。B型肝炎の活動を知らない方がたくさんいらっしゃると思います。ネットなどで調べられる方もいれば、そういうことに触れる機会がないまま、自分は関係がないのではないかと知るきっかけのない方もいらっしゃいます。そういう方へできるだけ情報を発信して、アクセスできるように体制を整えることが大切と思います。たとえばこういった活動が、耳に入って手続ができると気づく方もいらっしゃると思います。そういうきっかけにしたいと思うので、B型肝炎原告団の活動についてもお伺いしたいと思います。

 

田中さん▶私は活動に参加する前はそういう意識がありませんでした。活動に参加するきっかけとなったのは、東京での裁判の傍聴です。日頃からTVなどで裁判をやっているのを見ていて、どういうものかに見てみたいという好奇心がありました。原告団ニュースで裁判の傍聴ができると知り、実際に東京に傍聴に行ったのがきっかけです。東京にいったときに原告団の相談会などの集まりがあり、いろんな原告さんと触れ合う中で、いろんな症状、病気で困っている仲間ということがわかり、そこからつながりできました。そのなかで、「簡単なお手伝い、サポーターならできます」と申告したところ、高橋さんからお声掛けをいただいて参加しました。原告団活動の中に入って、最近は幹事として活動させてもらっています。全国の活動など知り、奥の深さ、地域によってばらつきがあるということ含め、活動の裾野を広げることの大切さを痛感しています。

 

田中弁護士▶この活動に参加して、情報の共有や、自分でどう動いていいか分からない方へのコミュニティになっているのは大きいですか?

 

田中さん▶そうですね。参加してみると、同じような症状とか想いなど、早く治る薬ができて欲しいということ、最新の治療等の情報が欲しいというのはみなさん同じです。こういうところで、各地の先生からの情報などを得る機会がたくさんあり、大変役に立っています。

 

田中弁護士▶原告団活動のご経験が豊富な高橋さんからお伺いしたいですが、いかがでしょうか?

 

高橋さん▶活動については多岐にわたりますが、恒久対策、真相究明、教育啓発の三本柱があります。

 恒久対策活動では毎年厚労大臣と協議し、B型肝炎の治療薬を早く作って欲しいとか、二度と同様な過ちを起こさない為の方策とか、その様な要望を取りまとめて要請するなどしています。真相究明では、なぜこの病気が起こったのか、原因は何なのか?を究明しています。

 教育啓発では、B型肝炎への偏見差別をなくし、住みよい日本にしてもらおうという活動です。教育啓発では、長年文科省と協議して、教科書にB型肝炎を取り上げて欲しいという活動をやってきました。それがようやく今年、中学校の教科書に載ることになりました。高校の教科書でも一部取り上げられます。それから中学校で使用される副読本も厚労大臣との協議の上で完成して、今年からの配布が決まりました。今年は中学3年生の先生向けにとりあえず配布されるという事ですが、子供さん全員に配布されるところまではいっていません。副読本の内容は、厚労省のHPに載ります。なぜこの病気がはじまったのか?ライシャワー事件からずっと遡って最近までのことが取り上げられています。

 私自身は教育啓発班全国チーム会議に参加して、患者講義も行っています。特に東京では、医療関係の学校・事業所で患者講義を行うことを主体に行っています。医療従事者の方に、この病気をよく考えてもらって、患者に寄りそった治療をしてもらう、その講義の中で創薬推進にも力を貸して欲しいというところで、活動しています。

 

医療講演会(講師 東京医科大学茨城医療センター池上正先生)
医療講演会(講師 東京医科大学茨城医療センター池上正先生)

 

田中弁護士▶ありがとうございます。たとえば、B型肝炎ではないか?B型肝炎なってしまったと言われて困っている?という方がいらっしゃるとしたら、今後こういったアクセスにしていくためにはどうしたらいいのか、お考えはありますか?

 

高橋さん▶専門医、病院から原告団、弁護団につないでもらえると非常にうれしいです。病院の先生方からこういう患者団体、原告団があって、B型肝炎患者の為に活動している事を知らせてもらえると良いと思います。医者を信頼して治療を受けている方に、先生方から伝えてもらえればと思います。

 

田中弁護士▶田邊さんのお話で、病院でパ

ンフレットが片隅にあったという話がありましたが、病院がきっかけでお知りになった方が多いのでしょうね?

 

高橋さん▶そうだと思います。ほかのところからはなかなか、自分がB型肝炎であることは職場では知られたくないでしょうし、伝えたくもないですよね。医療講演会のポスターをスーパーなどで貼ってもらって、それを見た人が相談に訪れるなど、そういうこともあります。

 

田中弁護士▶今後の活動の参考にさせていただきます。それでは最後に、いま現在B型肝炎で困っている方、抱えている方に向けてメッセージがあればいただきたいと思います。

 

田中さん▶私がそうですが、この病気を発見するきっかけとなったのは、1992年37歳ころの会社の健診で指摘されてはじめてわかりました。その後も同じように健診で指摘をされ、B型肝炎のキャリアだという認識はありました。だからといって何かをしたわけではありませんでした。のちにTV等で取り上げられたときに関心がわいて、病院に行って、今回の訴訟に関わることになりました。いかに最初の検査が大事かは重々承知しています。

 しかし、私の職場の健診では最近この検査がオプションになってしまいました。意識してオプション検査を受けようとする人は少なく、市区町村の定期健診時や病院で入院するなどの特別なケースでないかぎり、この検査を受けていないケースが多々あると思います。この病気は、症状はなくてもほったらかしにしないで定期的に検査を受けることが重要です。必ず検査を受けて、肝硬変や肝がんへ進行しないように自分の体を守るのが大変大事だと、活動を通して思っています。

 

田中弁護士▶田邊さんは不安に思っていること、困っている方へのメッセージはありますか?

 

田邊さん▶人それぞれに病態とか、いろんな条件、症状が違うと思います。私のように「お正月前にちょっと入院しましょうか?」と、言われたのが、あれよあれよのうち、次の年に移植になることもあるので分かりません。病院は予約制で、一人の患者さんに対して5分10分と診察時間が限られていて、先生もあまり言えないことがあると主治医が言っていました。病院のなかにも地域医療相談センターなどがあったりします。

 理想的なのは、成人式などの節目のときに検査を、いろんな病気の検査をしようという呼びかけをお祝いと一緒に配る、肝炎に限らず検査を呼びかけるなど方法はあります。保健所やいろんなところでやることがかなりあると思います。自分も大変な思いをしましたが、人として、夫の人生を狂わせてまで移植して良いのかと悩みました。今はアナログ製剤ができたのでそういうことは少なくなってきたと思いますが、人として生まれた以上は、希望に満ちた幸せな日々を送るべきだと思います。一日でも早く、持っているものは仕方ないにしてもそれが進まない努力をすることは、必要です。保健所などみんなが協力しないと無理かなと思います。感染を知ること、治療を受けること、一人でも早くそういう悩みから解放されることが一番望ましいことではないかと思っています。

 

田中弁護士▶課題はあると思いますが、早めの検査、一日も早く動くということが大事ということですね。高橋さんはいかがでしょうか?

 

高橋さん▶さきほどから言われていますが、まずは検査。ウイルス検査を受けていない方は検査を受けましょう。

 肝炎がわかって治療に行っていないみなさん、早く専門医にかかりましょう。専門医にかかって、お薬が必要な方は拡散アナログ製剤など大変よい治療薬があります。拡散アナログ製剤の服用でウイルスをかなり抑制することができます。治療を受けているみなさん、希望をもって、創薬を推進してもらうように国へわたしたちの「早く創薬の実現を」という声を届けることをお願いしたいです。

 肝硬変・肝がんのみなさんは、大変でしょうけども将来を悲観しないでその一日一日を大切に過ごしてもらいたいです。かならずや治療薬もでてくるでしょう。いま、肝硬変で線維化した肝臓を柔らかくする薬の開発が進んでいます。それに希望をもってください。よろしくお願いいたします。

 

田中弁護士▶今日あらためてお話を伺って、自分もとても勉強になりました。ありがとうございました。

 

丸山弁護士▶今日はみなさんお忙しいところ大変ありがとうございました。

 

 

~みなさんのお話を おうかがいして~

 

 以上、実際にB型肝炎に罹患し、その後弁護団と連携して活動される御三方のお話を伺ってまいりました。みなさま、B型肝炎原告団として第一線で活動されているため、血の通った有意義なお話を伺うことができました。

 今もB型肝炎で苦しんでいる方々、罹患していることが判明している方々、不安があるがどのようにしたら良いのかわからない方々など、多くの方にとって、今回の対談が今後道標となりますと幸いです。(弁護士 田中佑樹)

 

記録/編集 弁護団事務局 花山 知宏